勝海舟は老中、若年寄に対して次のような五ケ条を提言した。
一、幕府に人材を大いに登用し、時々将軍臨席の上で内政、外政の議論をさせなければならない。
二、海防の軍艦を至急に新造すること。
三、江戸の防衛体制を厳重に整える。
四、兵制は直ちに洋式に改め、そのための学校を設ける。
五、火薬、武器を大量に製造する。
勝海舟が幕府に登用されたのは、安政二年(一八五五)正月十五日だった。
その前年は日露和親条約が終結され、外国の圧力は幕府を震撼させていた。麟太郎(勝海舟)は海防掛徒目付に命じられたが、あまりにも幕府の重職であるため断った。麟太郎は大阪防衛役に就任した。幕府は大阪や伊勢を重用しした為である。
幕府はオランダから軍艦を献上された。
献上された軍艦はスームビング号だった。が、幕府は艦名を観光丸と改名し、海軍練習艦として使用することになった。嘉永三年製造の木造でマスト三本で、砲台もあり、長さが百七十フィート、幅十フィート、百五十馬力、二百五十トンの小蒸気船であったという。
次の日の早朝、朝靄の中、龍馬が集合場所に向かって歩いていた。人通りはない。天気はよかった。
「いゃあ、遅刻したぜよ」と坂本竜馬がやってきた。
立派な服をきた初老の男が「坂本くん、遅い遅い」と笑った。
「すいません佐久間先生」竜馬はわらった。
この初老の男が佐久間象山だった。佐久間は「おい坂本!」と龍馬にいった。
「黒船をみてみたいか?」
「は?」龍馬は茫然としながら「一度もみたことのないもんは見てみたいですきに」
「よし! 若いのはそれぐらいでなければだめだ。よし、ついてこい!」
象山は「よいよい!」と笑った。


