「わしは歌えんきに」
と龍馬は頭をかいた。もう旅支度も整い、出発を待つだけである。
「では、龍馬おじさまにかわって私がうたってしんぜまする」
といったのは兄・権平の娘の春猪だった。春猪は唄がうまい。 そろそろ夜明ける。龍馬が今から踏み越えようとしている瓶岩峠の空が、紫色から蒼天になりはじめた。今日は快晴そうである。
道中、晴天でよかった。
龍馬は、阿波ざかいのいくつもの峠を越えて、吉野川上流の渓谷に分け入った。
渓谷は険しい道が続く。
左手をふところに入れて歩くのが、龍馬のくせである。右手に竹刀、防具をかつぎ、くせで左肩を少し落として、はやく歩く。
ふところには銭がたんとある。龍馬は生まれてこのかた金に困ったことがない。
船着き場の宿につくと、この部屋がいい海が見える、と部屋を勝手にきめて泊まろうとする。「酒もってきちゅうきに」龍馬は宿の女中にいう。
土佐者には酒は飲み水のような物だ。
女中は「この部屋はすでに予約がはいっておりまして…」と困惑した。
「誰が予約しちゅう?」
「ご家老さまの妹さまのお田鶴さまです」
龍馬は口をつぐんでから、「なら仕方ないき。他の部屋は?」
「ありますが海はみえませぬ」
龍馬は首を少しひねり、「ならいい。わしは浜辺で寝るきに」といって浜辺に向かった。
と龍馬は頭をかいた。もう旅支度も整い、出発を待つだけである。
「では、龍馬おじさまにかわって私がうたってしんぜまする」
といったのは兄・権平の娘の春猪だった。春猪は唄がうまい。 そろそろ夜明ける。龍馬が今から踏み越えようとしている瓶岩峠の空が、紫色から蒼天になりはじめた。今日は快晴そうである。
道中、晴天でよかった。
龍馬は、阿波ざかいのいくつもの峠を越えて、吉野川上流の渓谷に分け入った。
渓谷は険しい道が続く。
左手をふところに入れて歩くのが、龍馬のくせである。右手に竹刀、防具をかつぎ、くせで左肩を少し落として、はやく歩く。
ふところには銭がたんとある。龍馬は生まれてこのかた金に困ったことがない。
船着き場の宿につくと、この部屋がいい海が見える、と部屋を勝手にきめて泊まろうとする。「酒もってきちゅうきに」龍馬は宿の女中にいう。
土佐者には酒は飲み水のような物だ。
女中は「この部屋はすでに予約がはいっておりまして…」と困惑した。
「誰が予約しちゅう?」
「ご家老さまの妹さまのお田鶴さまです」
龍馬は口をつぐんでから、「なら仕方ないき。他の部屋は?」
「ありますが海はみえませぬ」
龍馬は首を少しひねり、「ならいい。わしは浜辺で寝るきに」といって浜辺に向かった。


