そんな風に言われている事を知ってか知らずか、ベリル本人は昔と変わらずに呑気に生きている。

 もとより、彼はまだ耐えられるかどうかの意識になるまでの年月は生きちゃいない。

 とはいえ、歳もとらず傭兵として戦い続けているというのは、やはりとんでもない事なのかもしれない。

 もし誰かが不死になったとする。

 その人間が終らない命に歓喜するのは一時的なもので、先の事を考えれば永遠に続く道に呆然と立ちつくすしかないだろう。

 人は「死」という安らぎが先にあってこそ、目標が定められる。

 終らない永劫の時間に「生き甲斐」を見つけるというのもおかしな話だ。

 限りがあるからこそ、永遠を信じられるのかもしれない。