そうして逃げたコの面影を引きずりつつ飲み屋に通っていると、泥酔した友達が若い男のコに絡んでいた。
それが今の夫、雅宏だ。
なぜかそこで意気投合し、友達と三人で遊ぶようになり、いつの間にかお互い好きになっていた。
子持ちのバツイチを親に紹介するには勢いがいると二人で子供をつくることにした。
二度目のできちゃった結婚。
(いや、私たち的にはつくっちゃった結婚なんですけど。)

 私たちは子供を連れて、彼の実家の大田舎にご両親と義妹と七人で同居することにした。
 それからの三年間は私の人生においてまさしく地獄だった。
 田舎ならではの夫が一番、夫をたてる、嫁が動いて当たり前、という常識の枠(?)にあてはめられた生活が私を待っていた。
ことごとく意見の合わない姑に反発し、ケンカをしても「バツイチなんだからしょうがない。ガマンしろ。」という夫。
悔し涙を流しながら謝ったことが何度もあった。
育児をしながらの朝昼晩三食全員分の食事作り。
義父、義妹、夫、三人分のお弁当を作る日々。
たたんでも、たたんでも終わらない洗濯物の山。
米作りに畑作り。
そのうえ、大好きな兄を取られた小姑からのイジメ。
二人目が産んで一年も経たず三人目ができた私を置いて遊びに出かける夫。
マタニティーブルーとも重なって自暴自棄になり、食卓に並べてあったご飯や味噌汁をぶちまけ大泣きをしたこともあった。
 それから数年後、細木数子がブームになり、その三年間が大殺界と見事に重なっていたことで、私は細木数子の六星占術を信じるようになった。
 
 私が結婚した年は大殺界だったけど、夫婦の場合、夫の運気が左右するというので夫の結婚した年を調べた。
『財成』といういい年だ。
私は専業主婦だし問題ない。
三年間同居したが、見るに見かねた夫が実家の隣に家を建ててくれた。
大殺界も去り、新築の家で家族だけの生活を送っていたのも束の間。
義母が重い病気を患った。
また七人分のお世話をする毎日。
義妹は嫁いでいったが義母の病気が治った頃、また私が取った行動で義母が呼吸器系の障害を訴えた。
いわゆる過呼吸というやつだ。