遼はフリーターで外見も中の下、お金にもだらしなく何もできない人だった。
でも若い私は、いわゆる〝この人は私がいなきゃダメなの症候群(?)″みたいな感じだったと思う。
フリーターだった彼を本職の方のツテでアパレルメーカーに紹介してもらった。
私が一人暮らしをしているアパートに転がり込んでいたので、21歳でできちゃった結婚をした。
私は会社を辞め、二人で埼玉のアパートに住んだ。
そこがまた最悪で、ヤクザの事務所の前だったのだ。
しょっちゅう大声でケンカする声が聞こえてきた。
赤ちゃんも生まれ夜泣きも激しく、育児ノイローゼとほとんど家にいない夫の帰りを待つ生活に疲れ、一方的に別れを言い逃げるように実家に帰った。

 実家に帰ってからは母子手当も多く、実家に住んでファーストフード店でアルバイトもして、お金にも気持ち的にも余裕のある生活を送っていた。
息子が3才になり保育園に行きだしたので、私は車の免許を取りに行くことにした。
(こんな田舎は免許がないと不便なので。)
そこで知り合った5才年下の大学生、健ちゃんとつき合い、2ヶ月で破局。傷心を癒すため、友達が店長をやっていた、男の子が話し相手になってくれる飲み屋(ホストクラブまではいかないけど)に子供を寝かしつけた後、友達と飲みに行くようになった。
そこでまた5コも年下の男のコを好きになり、そのコがトラブルを起こして、実家の四国に逃げるように帰ってからもフェリーに乗って会いに行ったり…。
多分、人はそれをストーカーと呼ぶのだと思う。
今思えば本当にバカバカしいけど、その時は真剣だったから…。
そんな私はハッキリ言って、妄想癖のある超恋愛体質な女。