働き始めたわたしの暮らしは、潤うどころか悪循環を作りはじめた。

わたしが外に出ることで彼の執拗な束縛が徐々にエスカレートしていった。



わたしの日常に、保育園と職場の往復がにプラスされ乳児の娘の保育園通いは、毎朝行きたくないと泣く息子より大変だった。

離乳食とミルクを用意して通園させることになった。産まれて早くに預けなければならなくなった不憫さから、毎朝きちんとお粥を炊くのを日課にし、1日の大半は母としてなにもしてない様なもので、よく成長を見逃した。



毎晩、おたより張に丁寧に書かれた1日の記録と眠っている娘を見て不甲斐なさに泣けたりもした。



気持ちを上に向けていないと働ける心境ではなかったのが本音で、だけど生活の中の優先順位をつける事で、笑っていれる自分にコントロールしていた。
弱音を吐く暇はなかった。忙しくなった上に、相変わらずの大人のお守りもしないと働けなかったから。





働くのは彼が働かないからな理由だけではなく、心のどこかでひっそりと、社会的にひとりでも成り立つ基盤も欲しがっていたのだと思う。

それを見抜かれていたとはとうてい思えない、でもよく仕事の邪魔をした。


どうしてそんなに用事があるのかと思うほど呼び出されては連れ歩く。
行けない日は帰ってからの嫌味な彼ら家族の飲み方を観察する事が必須となった。


仕事とわたしの波長が合ってくるのにつれ、ほとんど毎日、嫌味な飲み方を観察しなければならなくなるのが当たり前になる。
家族を呼んで、上げ膳据え膳の宴が始まる。