……数ヶ月後、高校を卒業した私は町に帰った。
壱さんの家は取り払われていて、その場所は駐車場になっていた。
記憶を辿るように、私はその真新しいアスファルトの上をゆっくりと歩いた。
此所が玄関。走るなと何度も言われた長い廊下。いつもの部屋。風鈴の吊るされた縁側。
……なにもかも、無くなってしまった。
唯一変わらないのは、陽当たりの悪さぐらいなものだろう。
空を仰げば、巣を失ったツバメが何度もそこを行き来している。
風が強く吹けば、あの風鈴の音が今にも聴こえてきそうだった……。
私はそっと瞼を閉じて、彼を想った。
壱さんはこの陽当たりの悪さを気に入ってあの家を買ったと言っていた。
陽の光は苦手なのだと。
だから暗い海に堕ちることを選んだのだろうか……。
…でも、本当はもっと陽の当たる場所で生きたかったはずだ。
瞼を上げて、彼の残した煙草を見つめた。
そして、その箱に書かれた文字を指の先でなぞった。
晴天のような青色に、
白い文字。
それはまるで、夏の日に見た空と、そこに伸びる飛行機雲のように思えた……。
「……壱さん」
彼の名をそっと呟くと、返事をするかのように風が吹いた。
煙草の匂いが、
静かに香った。
―終―

