「やだっ!!壱さん嫌だよ!!」
泣きながら縋り付いた。
「悪ぃな、俺はもういく……」
縋り付いた手も振り払われる。
ざぶんと、一際大きな波の音が聴こえた……。
壱さんは一人歩き出した。
……荒々しい海に向かって。
「……壱さんっ、そっち危ないよ」
嫌な予感がした。
心臓がどくんどくんと早鐘を打つ。
私の声など聴こえていないかのように、壱さんは歩みをやめない。
「危ないよ、波に攫われるってさっき自分が言ったんだよっ!?」
「…………」
私がどんなに声を張り上げようと、壱さんは立ち止らず、振り向きもしない。
「……壱さんっ!!」
徐々に海にその身を沈めていく彼を、私は追いかけた。
その時、壱さんは静かに振り返り私に向かって言った。
「……さよならだと言っただろう」
それは冷たい言葉だった。
でも、とても優しい声でもあった。まるで小さな子供に諭すような、彼には似合わない声音だった。
「やだ、やだよ…っ!!」
こんな別れ方したくない。
そう声を上げながら駆け寄ろうとすると、壱さんは静かに口を開いた。
「俺はもう充分すぎるほど生きた。
死にてぇんだ、この海で……」
「…………っ」
壱さんの言葉に、私は金縛りにでも掛かったかのように体が動かなくなる。
「そんな…」
私の声など波の音に虚しく打ち消されていく、老人の姿はどんどん海に沈んでいく……。
――…あかね
彼は笑って私の名を呼んだ。
「 」
一際大きな波が彼の全てを飲み込んだ。
姿も、声も、匂いも、何もかもが消えた。
私の愛した全てが海に飲み込まれた。
時が凍ってしまったかのように音は消え、世界は色褪せた……。
身体に力が入らず、私はその場に崩れ落ちた。
「こんなの、ひどいよっ」
私は小さく呟いた。
上手く息が出来なくて苦しい。だけどそう口にせずにはいられなかった。

