愛情だけでは食べていけない。
高畠治生(たかはたはるお)がその現実を知ってから、もう16年の月日が流れようとしていた。
結局、君は何処までもいいとこのお坊ちゃんなのよね。
早苗(さなえ)は我が子に乳を与えながらそう言った。貧しい暮らしでも悲しいかな乳房は痛いほど当たり前に張るが、唯一、明日への希望となるはずの愛情は、もうそこにない。
時代錯誤なぼろアパートと、空っぽの冷蔵庫。若い2人の間には、しんと冷えた不和と腹の虫の音だけがあった。
「治生さん? 大きな溜め息なんてついて、どうされました?」
「いや、ちょっと。ただ、死ぬ前に娘に会いたかったなあ」
消毒薬の染み付いた白い壁。
郊外の市民病院のベッドの上、治生の姿はあった。清潔感のある衣服に、黒々とした無精髭が似合わない。
「なに言ってるんですか。治生さんはただの胃潰瘍」
点滴を取り替えながら言ったのは倉田小鳥(ことり)。やっと一人前になったばかりの若いナースだが、若いだけにからかわれることには慣れていた。テキパキと仕事をこなすと、ついでとばかりにベッド脇の花瓶に手を伸ばす。