アナタがいたから

(ちょ、ちょっと……待て、落ち着け私。そう、落ち着くんだ)
そう自分に言い聞かせて私は自分の両頬を両手でつまみ、グイッと引っ張ってみる。
「痛たた……」
「どうした?燿にやられた所がまだ痛むのか?」
「あ、いや、違う違う。気にしないで……」
アハハと少し引きつった笑いを浮かべながら、首をふって袁に返事をしたが、ふと、己の古典的な行動に半分呆れた。
(頬をつねって確かめちゃったわ……なんて漫画な)
ハァ……と大きな溜息を付いた私に袁が話しかける。
「な~、俺はさっきも燿が言ったからわかるだろうけど袁っていうんだ。お嬢ちゃんの名前は?」
「えっ?あ~私?私は榊木 凛(さかき りん)」
「へぇ~、良い名前だな~凛ちゃんか~」
屈託の無い素直な笑顔に思わず赤面してしまった。
『凛ちゃん』なんて今じゃ母親以外は呼ばない呼び方だったし、何よりも、素直な笑顔がすっごく眩しい。
(はぁ~私の生徒達もこういう笑顔を見せてくれたら怒鳴らなくてすむのにな~)
そんな事を考えながら、広くて大きな背中にもたれ掛り、私はその背中から見える景色を見つめていた。
頭は既にパニックを通り越し、何が何やら分らないまま今の状況をそのまま理解する事に徹していたのだ。
状況が分らないからといって騒ぎ立てるほど私も子供じゃないし、なにより、現在私は、自分の居た職員室ではない所に居る事には違いないのだから。
(フッ、何だか年寄りのレッテルが貼られてるしね。だったら大人で居ようじゃない……)
袁は私を背負って少し傾斜のある建物がせまる路地を登っていく。
町並みは私が大学の卒業旅行で行ったイタリアのフィレンツェに似ているようだった。
石とレンガの昔ながらの建物。
(余り違和感を感じないのはそのせいかしら?)
そう思いながら振り返ってみると、蒼さが際立つ海のがあった。