満ち足りない月





「俺の両親ってのはもう随分前に殺されたんや」


リュエフは自分の前にあったティーカップをゆっくりと持った。

セシルはその言葉に固まりながらもリュエフを見つめる。


「兄弟もほんまはおったんやけど命辛々逃げ出せたんは俺だけやった」


カップの中で揺れる紅茶を眺めながら遠い日を見るかのようにリュエフは目を細めた。



「逃げろ言うて父親は血塗れになって握ってきた手をそっと離したんや。それから臆病やった俺は逃げ出した」


セシルはゴクリと喉を鳴らして顔をひきつらせた。



「走って走った。靴がボロボロになっても裸足になって走り回った。足だけは自信があったからなあ」

リュエフはくすっと笑った。


「ずっとずっと走り続けて俺は首都を出た。それからとにかくいろんな所に行ったなあ。知り合いはおらんかったからどこに行ったらいいのかも分からんくて、ただ盲目に逃げたんや」



―――私と同じだわ。

セシルは思った。



幾宛もなくて、ただただ逃げる。

それがどれだけ過酷でどれだけ孤独か。


セシルにはリュエフが感じた痛みが分かった。


ただセシルは同時にどうしようもなく情けなくも思った。


リュエフと私の“逃げ出した理由”は全く違う。


それが彼女に複雑な思いを感じさせた。