「紅実(くみ)?」
既に私は、すれ違い様にその男が誰なのか気付いていた。
「広田紅実子だろ?」
背後から左腕をつかまれ、歩みを止められた。でも、すぐにはその男の顔を見ない。そして、その問いかけにも答えない。
「中学の時1コ下だった広田紅実子だろ? そうだよな?」
「広田じゃないですけど、紅実子です」
「やっぱり! 覚えてない? 俺のこと」
「覚えていないけど、知ってます。私以外の人もたくさん知ってると思いますけど」
「まぁな。 仕事柄、そうかもしれないけど・・・」
「お仕事頑張ってください。 応援していますから」
周囲の目も気になり始めていたから、私はそれだけ言うと、元の方向を向いて歩き始めた。
「ちょっと待てよ!」
再び、その男は、背後から左腕をつかんで私の歩みを止める。
「どうして、東京にいるの?」
「特に理由はありません。 あの・・・、周りの目、気になるんですけど・・・。 写真にでも撮られたら、マズいんじゃないですか?」
その男は、慌てて周りを見渡す。
「時間ある? 俺、2時間くらいなら時間とれるんだけど。 ちょっと話さない?」
「それは、マズいでしょ? 今は、単なる中学の先輩後輩っていう訳にはいかないんだから」
その男は私の言葉を無視して、つかんだ左腕を離すことなく、私の行きたい方向とは逆の方向に歩き始めた。周囲の目は、私達2人に釘付けになっている。そんなことにお構いなしのその男は、私の心を浅くではあるが傷付けているとも知らずに、歩き続ける。