『ゆっくりでいいよ。そんな簡単に気持ちなんて切り替わるもんじゃないし。』
藍がそう言ってくれたから、焦らずにすんでるけど……。
あたしがピアノを弾けないことが哀しくて、また自己嫌悪に陥りそうになったときに藍が言っていた。
あたしが夜に、東の塔へ行ったときのことらしい。
『俺とぶつかりそうになったときさ、六花は無意識に手をかばったろ?』
そう言われて初めて気づいた。
だって、手をつけば頭を打つことなんて心配しなくていい。
そもそも人間てのは、まず最初に手が出て衝撃を和らげるものだ。
『だから、大丈夫。六花は弾ける。無意識に体はピアノを守ったんだし。』
その言葉に背中を押されて、少しずつ、弾くようになった。
まだ、家のあかずの間だった部屋では弾けないけど、いつか、平気になって。
アオと過ごしたあの部屋で、ピアノを弾きたい。
桜の匂いを吸い込むように、思い切り深呼吸をした。

