その年



岡田以蔵は四国、九州にてさらに剣術の腕を上げていた




それから1年経ち土佐ではある事件が起きる




1861年3月4日土佐藩の上士山田広衛(やまだひろえ)と松井繁斉(まついしげなり)は節句祝の帰りに寺の門前で郷士、仲平忠次郎と肩がぶつかった




忠次郎は慌てて謝り腰を下ろし頭を下げた




しかし鬼山田こと山田広衛は酒の勢いもあり忠次郎を罵倒した