話は遡るが、佳奈子は秀人と知り合ったばかりの
2003年の9月末日をもって、保育園を退職していた。
診断書が出て休んでいるにも関わらず、電話をしてきては厭味をいう園長。
わざわざ佳奈子の主治医に会いに行き
治る病気なのかと医師に確認を取ったり、揚句は
「先生から辞めるように、説得してくれ」
と頼んでいったらしい。
佳奈子にも電話ではっきりこう言った。
「あなたの病気だけど…私、治らないと思うのよ。
神経の病気って・・・あなたには悪いけど
うちも世間の目があるから、そんな病気の人を雇ってると、周りからうるさいのよね」
主治医からも
「ちょっと変わった園長先生ですね。
もし治っても、あの職場に戻ればきっと再発しますよ。
他を探した方が賢明かもしれませんね」
そう言われた。
幸い、健康保険の組合から、病気が理由で就業できない人を対象にした《傷病手当金》が
一年半、給料の8割を支給される制度があった為
しばらく休養し、その間に少しでもよくなったら
保育の仕事でなくても、どこか働きに出ようと決心をし、思い切って退職したのだった。

