クロスロード


彼女の不審な気持ちを落ち着かせようと、滅多に見せない笑顔を張り付ける。

一瞬、僕の顔を見た表情が固まる。

やば、うまく笑えてなかったのかも……



『あ、いや、僕で良かったら、なんですけど』



やっぱ笑うべきじゃなかった。逆に不審度が増したかもしれない。

柚以外の人の前で笑うなんて殆どないから笑い方を忘れたかな。それって人間としてどうなんだか。

なんて、声に出さずに自問自答していると。



『……お願いしてもいいかしら』



控えめな、けれど嬉しそうに笑う顔がそこにあって。

ああ、手伝いを申請して良かったんだ、と少なからずホッとする。

『はい』と答えて早速プリントを作成しようとした時。



『あなた、1年生よね。名前は?』

『橘です』

『じゃなくて、フルネーム』

『はは、すみません。橘碧です』

『たちばな、あおい……』



この時はまだ、何も知らなかった。


黒髪の先輩が学校でずば抜けて美人と有名なことも

大手呉服屋の一人娘ということも

僕の親戚である、翠の婚約者になることも。




――何もかも、知らなかった。