正直、逃げ出してしまいたいと思った。


 佐久間先生の姿を目にする度ドキドキと心臓が動き出すのに対して、逃げ出したいと思っていた。


 ……だって、佐久間先生の姿の後ろに、まだ見たことのないカノジョの姿が見えるから。




 “分かったなら、もうやめてよ”




 佐久間先生にカノジョがいると教えた時の、佐藤さんの表情や声が、頭に浮かぶ。




「清瀬?」




 ハッとして顔を上げると、佐久間先生があたしの顔を覗き込んでいた。


 驚いて小さく声をあげて後ずさりをする。


 ……しっかりと目が合ってしまったことで、顔がすごい勢いで熱を持っていく。


 ガタンッと背中をくっつけたドアが揺れた音が聞こえる。


 保健室の中に入るのは、久しぶりだった。




「ボーっとしてたけど、どうかしたか?」

「い、いいえっ。なにもっ」




 久しぶりに入った保健室の感想を抱くことはなく、あたしはただ、目の前にある佐久間先生に意識を集中させていた。


 それは意識的にではなく、無意識的に。


 ドキドキと波打つ鼓動が抑えられない。


 顔が、どんどん熱くなる。


 ……佐久間先生の目が、あたしの目を捕らえたまま、逃がさない。


 不意にその目が近づく。


 ビクリと体を強ばらせ、目一杯背中をドアにくっつけたのは、佐久間先生が怖かったからじゃなくて……これ以上近づいたら、心臓が壊れてしまうんじゃないかと思ったから。


 ふわり、タバコのニオイがして、ギュッと目をつぶる。


 久しぶりに嗅いだタバコのニオイは、とても切ないものだった。




 ……ガチャンと、鍵が閉まる音がした。




 え、と思い目を開けると、佐久間先生が離れていく姿が見える。


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