そして、日本はお金を稼ぐために、外国に絹糸をばんばん輸出していました。

(ヨーロッパでは産業革命により、機械で一気に布を作っていたので、

丁度絹糸が不足していました)

しかし、その絹糸を作っていたのは、あの有名な女工さん達でした。


(「女工哀史」という言葉をご存知の方も多いでしょう)


豪雪地帯などの貧しい村から、若い女の人達が、工場に住み込みで働いていたのです。


ただし、そこでの食事もまた酷いものでした。

(低たんぱく状態だと、体は免疫力をたもてなくなります)


その上、女工さん達の労働は何と一日14時間……。


更に、宿舎は不衛生極まりなく、病気になる方が普通くらいだったそうです。


この場合の病気とは、おもに結核です。


驚いた事に、彼女達は結核を患い、血を吐いても、休むことを許されませんでした。


というのも、当時は結核という病気自体がきちんと認知されておらず、


「よろけ」などと呼ばれて(かかった人はよろけていた)、


ゴロツキまがいの用心棒が、動けないほど具合の悪い彼女達を木刀で殴って、

無理やり機械の前まで連れて行って仕事をさせたのだとか。