大した期待などされていないからこそ、自由に振る舞うことができる。それを普段はありがたく思っていたのだが、今日はなんだか寂しかった。
 お母さん。あなたの娘はいま、知らないひとと一夜を共にしようとしています。女だけど。
「そこのグレーの壁のアパートよ」
 すぐ目の前、彼女の黒髪が歩く度に上下する。
 彼女の住むアパートは、駅裏を15分ほど行ったところにあった。
 特別古くも新しくもない、いたって普通の印象を受ける外装。ひとまず胸を撫で下ろす。
 2階に上がってすぐの角部屋が彼女の部屋だった。
「狭い部屋だけど」
 鍵を開け手探りで玄関の明かりをつけて、先に入った彼女が招き入れてくれる。
 入ってしまったら今度こそ帰れないぞ、と自分自身に問いかけつつも、結局ええいと勢いをつけてあたしは中に踏み入れた。今更な迷いだ、とすっかり踏ん切りがついてしまっていた。