「んーな事言ってたら、世界中からピンク色がなくなるな。そのうち人類は滅亡だ」

それは至って普段通りの口調だった。
やっぱり。この人が私の言葉を聞き入れる事はない。私が重く考えている事でも、この人にとっては取るに足らない事なのだ。そう思うと、少しだけ心が軽くなった気がした。

「……ふふ、そうかも、しれませんね。まあ、何にしても、いまだに“好き”って気持ちが分からない私には、まだまだ縁の遠い話なんでしょうけどね」

「……はっ? お前、その歳で初恋もまだなわけ? どこまでストイックなんだよ。そんなんじゃどんな形(なり)してたって男は寄ってこねえぞ。お前ってほんと勿体ねえな」

「っだから私は……! 女の子らしくとか、そういうの以前に、人として誠実でありたいんです。こうでありたいという姿に、男も女もないでしょう」

ついムキになって言い返せば、先生は可笑しそうに肩を揺らす。

「何が可笑しいんですか」

「っいや、べつに……っ」

「だったら笑いを仕舞って下さい!」

「ああ……っく……」

「先生!」

詰(なじ)っても、笑いが治まる気配はない。この人はどこまで失礼なんだろうか。
だけど不思議なことに、腹は立ってもこうして言い合ってる事自体は不快ではなくて、むしろ……。というか、こんなに笑っている先生を見るのはもしかしたら初めてかもしれない。

「……っふー。やっぱ原田は原田だよなあ」

「何言ってるんですか?」

「いーやこっちの話。てか、そろそろ帰れ。もう五時んなるぞ」

そう言われて辺りに目をやると、確かに薄暗くなりかけている。この時季、あと三十分もしないうちに真っ暗になるだろう。

「ほら、帰った帰った」

言いながら、先生は長らく放置していた煙草を始末する。もう保健室を閉めるのだろう。絶対残業はしないタイプだ。

窓を閉めようと縁に手を伸ばした先生に、いよいよ私の意識も家路へ向く。先生が帰るのならこの場に居る意味はない。それじゃ、と踵を返そうとしたところでふと、思い出す。

「加賀先生」

早く帰りたいのか、先生はちらりと此方に目をやっただけだった。