私は幼い頃から両親に、自分に厳しく他人に誠実にと教えられて育ってきた。両親が正にそういう人間だったから、私も疑う事なく信じて受け入れた。そのせいで泣く事も多かったけれど、その分沢山の愛情ももらったので、私は充分幸せだった。
両親の教えを固く心に留めていた私は、だから当たり前のようにいじめられていた子を助けようとした。でも、それがいじめをしていた女子達の反感を買ってしまったのか、気付いたら、私自身がいじめのターゲットに変わっていた。
結局、いじめの対象が誰であってもいじめる側には大して関係がないのだと、私はこの時初めて知ったのだった。
こうして私の平穏な生活は呆気なく終わりを迎えた。
クラスの女子には無視をされ、男子にも遠ざけられた。陰口なんて日常茶飯事。上履きに画鋲を入れられ、ジャージはごみ箱に捨てられた。さらにトイレに入れば水をかけられる始末で。実に陰険で古典的だった。いじめる側は、ほんの遊びのつもりだったのだろう。それでも、中学生の精神にダメージを与えるには充分だった。
私は分からなかった。両親の教えに沿っていじめられた子を助けたまではいい。けれど自身がいじめの対象にされた時、自分はどうすればいいのか。分からなかったからひたすら耐えた。その頃から、両親は仕事で帰りが遅かったし、打ち明けるという考えは端(はな)からなかった。両親に話して、失望されるのが一番怖かったから。
いじめが始まって約三ヶ月。終業式のその日まで、いじめがなくなる事はなかった。
春休みが明け三年になってクラス表を見た時、私は何とも言えぬ気持ちになった。私をいじめていた首謀者とも言える四人が、みなそれぞれ別のクラスで、私も四人とはまた違うクラスだったのだ。そう計らったのは間違いなく担任で、助けるならどうしてもっと早く助けてくれなかったのかと、私はただ遣るせなかった。
中学最後の一年間は、驚く程穏やかに過ぎていった。でも、誰かと特別親しくなることもなく、学校に居ても心が休まることはなかった。
中学を卒業する時、私は決めた。相手をきちんと見つめられる人間になろうと。外見や地位や立場、性別なんて何の意味もなさないのだと、気が付いたから。

