円心もそこはよく心得ていた。
自分が求めているものがそう簡単に得られぬことぐらい承知していた。禅家では、「三度の大悟、小悟は数えきれず」と言われている。きらびやかな衣装をまとい出世欲に躍起になるえせ禅僧は論外として、求道たるに身を置く禅僧は「日々是修行」である。円心は幼いときからそのことを骨の髄までたたき込まれてきた。そういう意味では、円心は禅僧としての自分を捨てきったわけではなかった。いや、むしろ修行僧としての自分に磨きをかけていったのかもしれない。