正澄様の部屋の前に着くと聞こえてくるのは正澄様の機嫌の良さそうな声だった。




紫衣は部屋に入ったのだな。


間に合わなかった。




ガクリと肩を落とし、部屋から洩れ聞こえる声に耳をすました。


ボソボソとしか聞こえない話し声の中に凛とした殿の声が響いた。



「兄上、どこの馬の骨かわからぬ娘を側に仕えさせるのは如何な事かと思いますが。」



殿は毅然と言い放った様子。


でも、その殿の言葉にも正澄様は耳を貸そうとなさらなかった。





しかし、殿は紫衣だとは気付いてないご様子だ。


そのことには胸を撫で下ろした。




俯き加減で膳を運んでいた紫衣、殿はまともに顔を見ていないのかもしれない。

紫衣の変化もまだご存じないのだ。




正澄様が紫衣の名を呼ばない限りは大丈夫かもしれない。


そんな暢気な考えはすぐに打ち消された。



紫衣のハッキリとした物言いに正澄様は厳しい声を出された。




毅然と言い放ったのはゆき様を思う気持ちと自分の正直な気持ちだった。


襖に耳をつけて紫衣の言葉を聞いた俺は不覚にも胸を打たれた。



それと同時に紫衣の待っている男が殿であればいいのにという気持ちになったんだ。





真っ直ぐな紫衣の言葉には胸を打たれないものはいないだろう。