たとえばそれが始まりだったとして



「うーん。じゃあ、既成事実をつくっちゃうっていうのはどうかな?」

「既成事実?」

「そ。例えば……」

言うや否や、眞鍋君は首を傾げる私に覆い被さるように顔を近付けてきて。そこで眞鍋君の言う“既成事実”が何なのか馬鹿な私でも理解した。流石にこれは焦る。両手に力を入れて抵抗するも掴んだ手はピクリともしない。

「ちょっ! ま、眞鍋君、落ち着いて! 考え直すんだ! こんな事をしても得る物は何もないぞっ! 解放するんだ!」

「ふふ。無駄な抵抗は止めようか。大人しくするんだ。君は完全に包囲されている」

眞鍋君は意外にノリが良かった。
でもこれじゃあどっちも警察じゃん! なんか私の方が犯人っぽくなってるし! たしかに包囲されているのは事実だけど! って、そうじゃなくて。

私がひとり脳内つっこみをしている間も確実にその距離は縮んでいて、私の焦りは最高潮に達しようとしていた。
ぎゅっと目を瞑り、唇を噛む。鼻に息がかかるくらい近くに気配を感じて、もう駄目だと諦めかけたその時。

「桐原君!」

自分でも予想だにしない名前が口から飛び出し、瞑った目を見開いて固まる。




――え?


「――桐原?」


私今、なんて言った……?



驚きを隠せない私を鼻で笑うと、眞鍋君は見下したような馬鹿にしたような、自嘲ともとれる笑みをその口いっぱいに浮かべ声をあげて笑った。

「ははっ。そっか」

そのあまりに歪んだ笑みに、背筋が凍る。

「結局、小春ちゃんも桐原を選ぶんだね」

「――え?」

かろうじて耳に届いた言葉。
だけど意味を考えている余裕なんてなかった。眞鍋君が私を見る目にはもはや何の色も宿ってはおらず、その虚ろな瞳に戦慄が走った。

手首を掴むその手に力が入る。

もう一度ゆっくりと顔が近付いてくる。

「まなべ、くん」

危険だと、逃げろと、身体が訴える。

なのに、恐怖で支配された身体は一ミリたりとも動かない。

「なんで桐原なんだよ……っ」

悔しそうに呟かれたその言葉に疑問を感じるひまもなく、次の瞬間には、唇に温かい感触が降り注いでいた。