私がすべてを知ったのは、それから二日後のこと。



私の傷は思ったよりも浅く、包帯もすぐに取れ、精密検査でも異常は見られなかった。

あれだけの大きな事故で、この怪我ですんだのは奇跡的だとお医者さんは言った。


だけどそれは……お母さんが守ってくれたから。


救出された時、お母さんは私をかばうように覆い被さっていたらしい。



葬儀の準備はすべて、陽子叔母さんがしてくれた。


まだ子供だから、ということ以前に、両親を一度に失った悲しみで、私は何も出来ない状態だったから。


ご飯も食べない、睡眠もまともに取らない。

お通夜でも告別式でも、私が涙を流すことはなかった。


そのことが余計に叔母さんに心配を掛けた。



「我慢しなくてもいいのよ? 泣きたい時は泣きなさい」


叔母さんはそう言って抱き締めてくれたけど、でも、一人にならないと涙は出ない。



誰かがいると、泣けなかった。