お父さんは先ず悦子さんの安置されている部屋に行くと、なきがらに寄り添い、語り掛けるように長い時間を掛けて悦子さんが安らかな眠りにつくように祈られたそうです。
そして、裕次郎さんに会いに病院へ行くと先生から「裕次郎さんはひどい心の病になり帰宅はなりません」と言われたのです。仕方なくお父さんは「一目でもいいから是非会わせて下さい」と懇願されたそうです。
先生に連れて行かれた部屋で、ガラス窓越しに見るとベッドに両手両足を縛られグッタリとしている裕次郎さんの姿がありました。お父さんはしばし呆然としていると、先生は「時間を掛けて治しますので優しく見守って下さい」と言われたそうです。
次の日、夕陽に染まった中をお父さんが変わり果てた悦子さんのなきがらと共に車で帰って来られました。家の前では近所の人様も心配して待っていましたが、皆が皆、哀れで声が掛けられず、むせび泣く声だけが聞こえました。お母さんと妹さんは立ち上がる事すら出来ず、やむなく家の中で泣き崩れて待っておられました。
その日の夜は、悦子さんのなきがらを置いた部屋からお母さんと妹さんのやるせない嘆く声が幾度と無く辺りに聞こえました。私は今にも胸が張り裂ける思いで聞いていました。
それでも悦子さんのお父さんは、大いなる悲しみに耐えながらも立派に葬儀を行いました。お母さんは床にふしたままなので妹さんが付きっきりで看病をされて、二人は気の毒に葬儀には出られませんでした。
お墓は家の近くの小高い丘の斜面にある御主人の眠るお墓に隣り合うように、裕次郎さんの姓で新しく作られました。周りには悦子さんの大好きな、四季を彩る草花がいっぱいに植えられました。
そして、裕次郎さんに会いに病院へ行くと先生から「裕次郎さんはひどい心の病になり帰宅はなりません」と言われたのです。仕方なくお父さんは「一目でもいいから是非会わせて下さい」と懇願されたそうです。
先生に連れて行かれた部屋で、ガラス窓越しに見るとベッドに両手両足を縛られグッタリとしている裕次郎さんの姿がありました。お父さんはしばし呆然としていると、先生は「時間を掛けて治しますので優しく見守って下さい」と言われたそうです。
次の日、夕陽に染まった中をお父さんが変わり果てた悦子さんのなきがらと共に車で帰って来られました。家の前では近所の人様も心配して待っていましたが、皆が皆、哀れで声が掛けられず、むせび泣く声だけが聞こえました。お母さんと妹さんは立ち上がる事すら出来ず、やむなく家の中で泣き崩れて待っておられました。
その日の夜は、悦子さんのなきがらを置いた部屋からお母さんと妹さんのやるせない嘆く声が幾度と無く辺りに聞こえました。私は今にも胸が張り裂ける思いで聞いていました。
それでも悦子さんのお父さんは、大いなる悲しみに耐えながらも立派に葬儀を行いました。お母さんは床にふしたままなので妹さんが付きっきりで看病をされて、二人は気の毒に葬儀には出られませんでした。
お墓は家の近くの小高い丘の斜面にある御主人の眠るお墓に隣り合うように、裕次郎さんの姓で新しく作られました。周りには悦子さんの大好きな、四季を彩る草花がいっぱいに植えられました。

