ラーラ

 私達の毎日の食事は悦子さんの家族の家でいただきました。朝ご飯を終えると、裕次郎さんは私を連れ、午前中は少年のころ夢中で釣りをした川のほとりや近くの丘を一、二時間ほど散歩しました。午後は少しずつですが飾り棚を作って過ごしていました。

 裕次郎さんは悦子さんの家族とのにぎやかな夕食を終えて自宅に帰ると裕次郎さんは、先ず少しの時間ですが読書をしてから、天候の良い日は縁側に腰を掛け月明かりの下で、天候の思わしくない日は部屋の柱を背もたれにして、ぼんやりと外の景色をながめていました。

 ある日から、部屋の灯りを消し好きな音楽を聴きながら焼酎を少しだけ味わうようになりました。私は、かたわらにいながら裕次郎さんに何もして上げる事も出来ずに唯、寄り添うだけで、もどかしい思いでした。

 その年の長い梅雨も終わりの頃、突然、裕次郎さんは悦子さんのお父さんに「わがままを言いますが少しの間、遠い大都会に行きたい」むねを告げました。当然、お父さんは「もう少し静養してから」と思い直すように言いましたが、つらい思い出を少しでも忘れられるならと思い、許されたのだと思います。

 次の日の夜明け前、裕次郎さんは私を呼び寄せると「ラーラごめんね。一人ではくじけそうだから一緒に付いてきてね」と言いました。そして、庭に咲く色とりどりの花を摘み、束ねると身の回りの物を入れたバッグを持ちました。

 私をともない、悦子さんのお父さん宅を訪ねました。そして、「これからお墓参りをしてから、朝一番の列車で行って来ます」と言い、私達は出かけました。実は裕次郎さんは悦子さんのお墓を参るのは初めての事なのです。

 まず御主人のお墓に手を合わせ、私にも分かるほどの声で「おじいちゃん色々有り難う御座いました。安らかにお眠りください」と言いました。