裕次郎さんは余りにも大きな衝撃を心に受けたので立ち直るには相当な年月が必要だとの連絡が、病院の先生から有ったそうです。
事故から一年ほどして、悦子さんのお父さんが病院の許しをもらい、私も初めて一緒に見舞いに行きました。
私が車の窓から身体を乗り出すように待っていると、裕次郎さんは私を見つけました。すると病院の付き添いの方を振り切るように急いで駆けよると、思い切り抱きしめ、ほおずりしながら「ラーラ、ラーラ」と何回も言ってくれました。私も甘えて顔を何度も何度もこれでもかとなめてあげました。でも裕次郎さんの顔には、悦子さんを見つめていた頃のあの優しい笑顔はありませんでした。
裕次郎さんは二年ほど経つと、ずいぶんと容体が良くなり、自宅から車で1時間ほどで行ける都会の病院に移って来ました。週末は悦子さんの優しい家族の誰かが私を連れて必ず見舞いに行きました。
病院での裕次郎さんは、初めの頃は自分の部屋で一人過ごす事が多かったが、暫くして大分良くなると、たくさんの人達と会話をして一緒に過ごすようになったそうです。私も裕次郎さんの顔に少しずつですが笑顔が戻ってきたような気がしました。
悦子さんが逝かれて、季節は過ぎて行き三年程経った頃でした。
道端の桜の花がまさしく満開のおだやかな日の朝でした。悦子さんのお父さんが運転する車で、ようやく心の病から解放された裕次郎さんが帰って来られました。玄関ではお母さんと妹さんが深い悲しみをこらえ笑顔で迎えられました。私も嬉しくて嬉しくていっぱい甘えました。
事故から一年ほどして、悦子さんのお父さんが病院の許しをもらい、私も初めて一緒に見舞いに行きました。
私が車の窓から身体を乗り出すように待っていると、裕次郎さんは私を見つけました。すると病院の付き添いの方を振り切るように急いで駆けよると、思い切り抱きしめ、ほおずりしながら「ラーラ、ラーラ」と何回も言ってくれました。私も甘えて顔を何度も何度もこれでもかとなめてあげました。でも裕次郎さんの顔には、悦子さんを見つめていた頃のあの優しい笑顔はありませんでした。
裕次郎さんは二年ほど経つと、ずいぶんと容体が良くなり、自宅から車で1時間ほどで行ける都会の病院に移って来ました。週末は悦子さんの優しい家族の誰かが私を連れて必ず見舞いに行きました。
病院での裕次郎さんは、初めの頃は自分の部屋で一人過ごす事が多かったが、暫くして大分良くなると、たくさんの人達と会話をして一緒に過ごすようになったそうです。私も裕次郎さんの顔に少しずつですが笑顔が戻ってきたような気がしました。
悦子さんが逝かれて、季節は過ぎて行き三年程経った頃でした。
道端の桜の花がまさしく満開のおだやかな日の朝でした。悦子さんのお父さんが運転する車で、ようやく心の病から解放された裕次郎さんが帰って来られました。玄関ではお母さんと妹さんが深い悲しみをこらえ笑顔で迎えられました。私も嬉しくて嬉しくていっぱい甘えました。

