宮地岳線

「ネェちゃんは時間おしえてくれるよな。ここにこんなイイ腕時計してんだからなあ」
酔っ払いは無遠慮に“あの人”の左手首を掴んだ。
「やめてください!」
怯えた表情とは裏腹に、“あの人”はキッパリとそう言って手を振り払った。
見た目からいって御しやすいと思っていたらしいこの男は、意外にもハッキリ拒否されたことにショックを受けた様子であったが、すぐにもとのだらしのないニヤけた表情に戻ると、
「そんな冷たくするなって…」
と、なおもしつこく絡む。
電車は唐の原(とうのはる)に着いた。
ドアが開く。
“あの人”は酔っぱらい男の脇をすり抜けてホームへ逃げようとした…。
しかし。
「待てこら!」
こともあろうにこの酔っぱらい男は、彼女のポニーテールを鷲掴みにして引きとどめた。「いたい!」
彼女の悲鳴に、健太はついに立ち上がった。
そして、髪を掴む男の手を、力一杯叩き払った。
「いてっ!」
男は本気で悲鳴をあげた。それくらい健太の力には怒りが籠っていた。
“あの人”の一番よく似合っているポニーテールを男が鷲掴みしたということは、健太にとっては“神聖”なるものを侵したも同然の、絶対に許せない行為だった。