ケビンはルイを「さくら」と呼んで、大切にした。

事件から幾日かって、チャーリー.ギブソンのイブニング‐ニュースで失踪した日本人夫婦の写真がテレビで出たいた。
そして、その写真のその顔は、明らかに自分が拾った女性と同じであった。

ケビンは今まで大した日本への関心が無かったせいもあって、日本語の名前がなにも思いつかずこの名前を選ぶことにした。

しかしケビンは心からこの名前を気に入っていた。

ワシントンDCのゲットー育ち、母親はケビンや幼い弟を置いて男と出て行き、父親はその日の食費の分も飲んだくれ、なけなしの金でクスリを買った。

ニュージャージの孤児院へ送られる前までの間、ケビンはよく幼い弟をつれてタイダルベイスンのほとりにあるさくらの木のたもとで遊んだ。

四月には必ず満開になるこのさくらの木は、彼の信じられるものが少なかった少年時代の、数少ない『信じられるもの』のひとつであった。

そしてその時期には必ず異国のお祭りがあり、そこの屋台で買って、弟と分け合って食べたヌードルのおいしかったこと。

いつの間にか、自分の姿を鏡のように地面に映し出すあの美しい木が、幸薄かった彼の少年時代に、やさしくその薄紅色を落とす…。