次の日も、その次の日も、ルイは死んだように眠り続けた。

眠っても眠っても足りやしない。

夢の中のルイは、亮介の赤ん坊を抱いて幸せそうに笑っている。

そして最近実家の近くに借りた新居の小ぎれいなアパートから、朝、工場へ向う亮介に

「いってらっしゃい。」

と窓から子どもと一緒に手を振る。

亮介も

「いってきます。」

と、笑顔でそれに答える...。

アパートのベランダに置いた鉢植えの朝顔が勢い良くさきほこっている。

突然ルイは目を見開いた。

今までの自分とは決別するかのように、真っ白なシーツを勢いよく剥ぎ取り、ベッドを降りて部屋を出た。

「Finally, you woke up.(やっと起きたね。)」

なぜかルイにはケビンの言っていることがわかった。

しかし、言葉がわかったという意識はルイにはなかった。

日本人にありがちな『アガリ』が、落ち着いて英語を聞き取ることのできない状況を作り出しているというのは、よくある話だ。

実際、アメリカの学校に留学してくるほとんどの留学生が、ESL(外国人のための英語クラス)でよい成績を残す。

しかし、実際にはプエルトリカンやメキシカン、中国人などの留学生のほうが、遥かにうまく英会話を成り立たせる。

要は、苦手意識を根底から取り除き、落ち着いて言葉を聞けば、ある程度わかるものである。

その『アガリ』がない状況、すなわち『慣れ』であったり、『気にしない』であれば、意外と英語が聞けたりするものだ。

しかし、ルイの場合、この『アガリ』とは明らかに違っていた。

彼女は何も覚えていなかった。

自分が誰で、今現在何語を使って頭で考えてるのかさえ、はっきりとしなかった。

シャワーを浴びたり、服を着替えたりといった日常生活の営みにはけっして困らなかったが、いかんせん、言葉が全くでてこなかったのだ。