西瓜に醤油

「旬くん、ごめん、おれ、もう煙草吸わない」
「本当かよ。吸ったら絶交するぞ」
 あひるが唇を噛みしめるのを見ながら、こいつが禁煙できるはずもないと思った。どうせいつもの戯言だ。数日中、早ければ数時間以内に煙草に火をつけてもおかしくない。そうなれば本気で突き放すつもりだった。けれどそれ以来、あひるは携帯灰皿を持ち歩かなくなった。アパートのゴミ捨て場に、新品のベヴェルライトが何箱も捨てられていた。時間が経ち、俺の気持ちが治まっても、あひるの口端にいつもの煙草はなく、かわりに習慣となったガムをもぐもぐと噛んでいた。味がなくなったガムでも、あひるは平気で二日三日と噛み続けた。大学の卒業式が近づいている。

 あひるは卒業と同時にアパートを出た。新しい住所は聞いていない。大家に聞けば教えてくれるかもしれないが、聞く気にもなれなかった。夜行列車を見に行こうという約束は果たされないまま、俺たちは別々の道を歩み始めた。
 それから数ヶ月後、一件の留守電を聞いていた俺は、それがあひるの声だと気づいて、慌てた。限界まで電話に近づき、集中してその声を聴く。子供が無事産まれたこと、相手の女性と結婚すること、そして煙草はまだ吸っていないことを告げて、あひるの留守電は時間切れで終わった。ため息が出た。
 醤油をかけた西瓜を、平然と差し出してきたあひるの顔を思い出す。食べておけばよかった、と思ったらじわりと喉が熱くなった。俺は今、ベヴェルライトを吸う女性と付き合っている。