母の攻撃が、父の右耳の不自由であるってことの事由が、周知の事実であるのだったら、
日常の会話の中で、「話したいことがあるなら、左側から話せ。」とずっと言い続けてきた私にとっても厄介な父の一言一言が、母にとっては、まさに死ぬ思いの一言一言だったに違いない、、ということになり、、、、
しかも、、、その一言一言の重みを父は、そういう意味での母にはキツイ事柄だったことには 気づかずに日常浴びせ続けていたのである。父にとっては 単に傷つけられた腹いせに仕返し続けたことに罪の意識は当然ない、、むろん、他意はない。

しかも父にとって都合がいいことに 父が母の髪を掴み引きずり回して髪を毟り取っても直接後遺症には ならなかったし、
ただの愛嬌のヒザカックンで私の兄になるはずだった命を亡き者にしたことも、直接的には 母の致命傷にはなっていない。いや、その事実、その因果関係すら父は反故にし、母も、子たちには、隠し続けて、、、  悪いのは母ということ 父の中では事実なのだ。。。そして、病室で、母の呟きに耳を寄せる父の姿、傍から見たら、老夫婦の愛情表現にしか見えないのだ、、、母にはさぞ、恨めしかったに違いない。

本当に憎むべきは、、、その苦悩を、母の口からは、直接、私は聞いてないことだ。
母の残した日記でしか知りえなかったことだ。
母は、父への攻撃の悔いも、その後の父の執拗な声の出せない母の訴えも反故にし続けてきたことも、私には、公言していなかったのだ。