この稿で言う 悪意とは、、、邪悪の欲ということになるのだろうか?

人を傷つけようと意図しようがしまいが、己の保身のために、相手を思う気持ちを失った時、人はそれを悪意と位置づける。いや、、違う。己のためだけの悪意は、、それほどには人を傷つけはしない。もっとも、人を恐怖に貶める悪意とは、、、、愛する人のために画策する熱意に、とてもよく似ているのだ。

自分一人、生きていくための、詐欺なら、、そんなに、繰り返し企てる必要もないのだ。その裏に、、貢ぎたい愛する奴がいるからこそ、騙す所作から、罪悪感が消え、自らの正当化のため、本気で涙を流し、よりリアル感を増すものなのだ。
だから、、、、人は時に、悪意に救われたりする。金のための、好意は、偽善なんて称されるが、その偽善によっての、愛憎劇が、唯一の恋愛経験なるものである私には、悪意なるものを恨む理由は、希薄である。

人はそもそも、悪意の権化なのだ。