私は母の病状を知らされていなかった。
自分の孤独が解放される。
また母に会える。
私は自分の事しか考えていなかった。
だから母に過大な期待をしてしまっていた。


日本に帰って母に会った時の母の言葉は「おかえり」その一言だけだった。
私は絶望した。
「それだけ?学校から帰ってきたんじゃないんだよ?半年ぶりだよ?」
その母の言葉で、私達の関係は決った。
壮絶なバトルの幕開けとなった。

中学校から帰ると祖母の家に直行。22時頃に家に帰り自室に直行する。
ほぼ会話は無かった。
父の見えないところでのバトル。
罵りあい、物を投げ合い、取っ組み合いのケンカ。

死ね!
あんたなんか産まなきゃよかった
悔しくて、母の前で泣きたくなかった。
取っ組み合い、罵倒をして部屋に逃げる。
そして部屋で泣く。

こんな事望んでなかった。
産んだのはお前だろ。
私がドイツでした事はなんだったのか……

母に理不尽に虐げられ、罵倒仕返して自室にいると、父が尋ねてきた。

「ママは病気なんだから我慢して」

だから、その病気ってなんだよ!?
親は子供を愛するものじゃないのかよ?

不満は私の内で、ドンドン溜まっていった