不思議な気分だった。

ここを抜け出した時はもう戻って来ることはないと思っていた。

久遠も鴉も冷たいことばかり言って、怖くて、あれ以上関わりたくはなかったのに、今紗里にとって頼るべき存在になっていた。


紗里はロボットに案内され、再びあの時眠っていた2階の部屋の入り口に立った。


病院を抜け出して、あの人に会えれば全てが分かる。この部屋にいた時、紗里はそんな風にしか考えていなかった。


今もまだ紗里の知りたいことは解決されていないが、事態は紗里が思っていた以上に複雑で、残酷だったことだけは身に染みて分かっていた。


明かりも点けずに紗里は部屋の中に入る。

ベッドが置いてある窓際に近付くと、古ぼけて濁ったガラス窓を通してぼんやり街並みが見えた。


闇の中に点々と小さな光が揺れる。


「帰りたい……」


ぽつりと呟く。

紗里の脳裏に聞き慣れた溜め息が蘇る。

−−本当に、帰りたい?


「ここに、いたくないだけ……」


心が迷う。
街の灯のように不安定に揺れる。


「紗里ー」


階下から久遠の呼び声がして紗里は我に返った。
振り返り部屋を出る。


自分の本当の望みさえ不安定なままだ。


けれど紗里は思う。


このまま逡巡しているだけでは何も見えない。


今はただ、前に進むしかないのだと。






「一章・了」