「幸せが逃げるぞ」
幼い頃のお兄ちゃんの言葉が脳裏を離れない。五円玉を使うと、幸せが逃げる。根拠もないそのジンクスは、いつまでも私を過去に縛り付ける。お兄ちゃんの財布も、こんなふうに五円玉で溢れているんだろうか。お兄ちゃんのことを思い出すと、今でも鼻の奥のほうがつんと痛くなる。とりたてて、叶えて欲しい願いごとがあるわけでもない。それでも、ここにくるとついこうして律儀に手を合わせてしまうのは、祖母といる時間が長かったせいだろうか?祖母に連れられて来たこの神社で、私とお兄ちゃんは並んで小さな手を合わせたものだった。
神様を信じているわけではない。それなのに、人が吸い寄せられるようにこうして神社に来るのはなぜなんだろう?ここなら、全てのことが許されるような気がするからなのだろうか?

まだ二月だというのに、まるで春先みたいな陽気が眠気を誘う。いつもの冬は、この小さな町は、まだ雪に埋もれているのに。
そんな太陽から隠れるように、私はこの鬱蒼とした木々に覆われた神社に逃げ込む。ここには、桜や杉、欅といった樹木が神社の敷地内を取り込むように植わっていて、瑞々しい葉を繁らせていた。
ふとお兄ちゃんのことを思い出す。お兄ちゃんは、今頃、どうしているんだろう?
手帳から顔を上げて、眼下に広がる街並を眺める。お兄ちゃんのことを思うと、無意識にこうして鳥海山を探してしまう。
小学校の頃から、帰り道に、夕映えに染まる山並みにひときわ高く聳えていた鳥海山を眺めていた。人間っていうのは、時代が変わろうが歳をとろうが、何かこう、心の拠り所になるような対象物がなければ安心しない生き物みたいだ。山々に名前をつけるみたいに、自分達で作った高い建物にも名前を付けてこうして遠くから崇拝する。目印っていうより、崇拝みたいなものだ。
子供の頃、最初に鳥海山の名前を教えてくれたのはお兄ちゃんだった。
「お兄ちゃん、なんであの山だけ違う形してるの?」
「鳥海山はなあ、日本で一番高い山なんだ」
「えっ、日本で一番?」
「うん。神様っていうのは、あのてっぺんにいるんだよ」