「ケン君が行くから行くんじゃないもん。お絵かきしたいだけだもん。ママもケン君のママとケーキが食べたいんでしょ。名子知ってるもん。」

 明子は、やっと名子の目が覚めてきたのを確認すると


 「はい、はい、名子も一緒にケーキ食べようね。ほら、朝ごはん食べちゃいなさい。」

 一丁前に納得できないという顔をしながらも、名子はそそくさと朝ごはんを食べ終わり、明子にされるがままに幼稚園の制服に着替えた。明子もこの季節の命綱のマスクのフィット感を調整しながら、弁当を名子の黄色いかばんに入れ、家中の電気を消したのを確認してから外へ出た。

 晴れ渡った空には、雲ひとつ無かった。幼稚園の黄色いスクールバスが迎えに来る近所の公園までは、自宅から歩いて五分程だった。明子達が住んでいる築二十年の茶色い五階建てのマンションの前をいつも掃除してくれる一階に住んでいる老婆に、いつものように挨拶し、明子は、しっかり分別された半透明のゴミ袋を三袋、ゴミ置き場へ置いた。そこで、名子は数人の幼稚園のお友達と出会い、さっきまでの不機嫌なんて嘘のように朝もやの中で小鳥達とはしゃいでいた。
 いつもと変わらない朝、静かな住宅街、太陽のような子供達、誰も世界中に戦争があったり、未知の病原体が世界の法則を変えたりしている事なんて想像も出来ないほどの、美しい一日の始まりだった。春の麗のせいで、多少はしゃぎ過ぎている子供達を見ては、親達は気を引き締め、それぞれの子供の手をしっかりと握り、バス停へと続く道を全身を目にしながら世間話に花を咲かせていた。

 皆がバス停の近くに着いた頃、名子のお気に入りのケン君が母親と一緒に向かい側の車道から現れた。