名子はゆっくりと眉間に皺を寄せながら、まぶしくてよく見えない母親の顔に何かを訴えようと小さな口をもにゅもにゅさせた。そして、明子の手に導かれるままに、トーストとコーヒーの香りがまだ残るリビングのいつもの自分の席に腰掛けた。 テーブルの上に用意されたミルクとコーンフレークの入った黄色いお茶碗をジーと見つめながら、キッチンでせわしなく動いている母親のたてる心地よい、しゃしゃという音と、大好きな卵焼きの香りとで、名子は徐々に朝を迎えようとしていた。
 明子は名子の弁当用の卵焼きを世界中で一番綺麗に作ろうと努力しながら、もし、これが破れることなく綺麗に焼きあがれば、何か目に見えない不思議な奇跡がこのつまった自分の鼻をすっきりさせてくれるのでは、と密かな期待をよせていた。
 名子のお弁当の用意が出来た。しかし名子はまだ食事に手さえつけていなかった。

 「ほらほら、もう時間ですよ。 朝ごはん食べないと地球の裏側で朝ごはんを食べられなかった人達から怒られるぞ。それに幼稚園に行っても、そんなはれぼったい顔してたらケン君に嫌われちゃうぞ。」

「ケン君なんて好きじゃないもん。別に嫌われてもいいもん。」

「はいはい、じゃ、名子は今日のお絵かき教室の見学会に行かないってケン君のママに言ってもいいのかな。」