脱走犬物語

真っ黒だったソラが青から、そして赤、橙へと変わっていきます。眠くはありません。おなかもそれほどすいてません。ただ、ボクの脚は棒切れのようで、何も感じていません。右か左か、歩いているのかさえよくわかりません。お空は明るくなっても、色だけでしか感じません。時折、くさいウンチの匂いを嗅ぎ取るのが精一杯で、あとはほとんど何のにおいもしません。音も聞こえません。もしかしたら、この近くをケンちゃんが通っているのじゃないか。そう思い振り返るのですが、たとえ近くにいても今のボクにはそれがケンちゃんだとわからないかもしれません。ただ一つ、目を閉じると、思い出だけは鮮明に蘇ってきます。心の中の色や匂い、景色は昔のそのまんまです。

猛反対をするパパやママに代わって、泣きながら君がボクを抱きしめていた温度。
冬の北海道で寒くてガタガタ震えているところを抱きかかえ、家に入れてくれたママの胸のふくらみ。真っ赤な顔をして、おいしいお刺身をくれるパパの笑顔。ボクの心の中では、いつも輝いています。ボクに残された唯一のものは、想いです。想いがあれば、そばにみんながいる時、眼や耳ではわからなくても、きっと感じ取ることができるでしょう。想いだけは、絶対失いません。