雪に消えたクリスマス

 この丘で、満開に咲く桜の木を、俺はまだ一度も見ていない。
「それでは、これ、拾ってくれてありがとうございました…」
 桜の木から少し離れた所で、彼女は立ち止まると、俺に一礼をして、子供の待つ桜の木の下へと歩いて行く。
 そんな彼女の後ろ姿をしばらく眺めていると、不意に、彼女が立ち止まってこちらを振り返った。
「…やっぱり私達、どこかでお会いしたこと、ありませんでしたか?」
 それは、少しあどけない顔つきで、俺が知っている女性の顔にそっくりだった。
「さっき、あなたが私のことを、『ウララ』と呼んだ時、不思議と懐かしい気持ちになったんです。そんなこと、ある筈がないのに、悲しいような、切ないような、そんな不思議な響き…」
 彼女の瞳には、うっすらと涙さえ浮かんでいた。
 俺は、走って抱き締めたくなる衝動を必死で抑えながら、ゆっくりと彼女に近づく。
 そして、彼女まで後二、三歩の所で足を止め、彼女にスッと手を延ばした。
 朱に色づいた彼女の唇が、わずかに潤いを帯びている。
 彼女は、目をつむった。
「………会うのは、今日が初めてですよ」
 驚きの表情で目を開けた彼女に、俺は優しく微笑みかけながら、彼女の髪の毛に絡まった花弁を取ると、そのまま風に乗せた。
 花弁は風に乗って、遠く、街の方まで飛んで行く。
 彼女は、少し悲しそうな笑みを見せた後で、「そうですか…」とだけ呟いた。
「お母さんってば!」
 母の帰りを待ちかねた子供が、再び大きな声で彼女を呼ぶ。
 彼女は、また元気に返事をして、「それでは」と俺に再び一礼をする。
 一礼した後で、何か言い忘れたように、彼女は再び俺の方を振り向く。