和己と弟は大阪市西成区の借家でうまれた。和己の父親は奈良県の片田舎の出身で工場勤めだった。朝早くから、夜遅くまで真っ黒になった働いていた。子煩悩で優しい人物であった。反対に母親は大阪市西成区の出身で、札付きの遊び人だった。

父親と母親とが、どのようにして結びついたのかは、和己や弟の知るところではなかった母方の祖父母は何となく知っているというような感じである。父方の伯父らには、母親の話は、聞く耳なしのタブーとなっている。したがって、和己が伯父に母親の話を自ら進んですることはなかった。

母親は和己や弟を連れて、アパートから徒歩七分ほどの自分の実家に入り浸っていた。祖母に子たちを預けると、息を吹き返したようになって、顔色を染めて外へ浴びにでた。行き先はパチンコ屋である。そんな自堕落な生活を送っていた。

母親が帰ってこなくなった。知らせをきいた父親がパチンコ屋数件を探し歩いた。小さな写真を持って、座って遊んでいるパチンコ屋の客へ「知りませんか。」ときくのである。父親の作業は徒労に終わった。母親は幼なじみの旅芸人に騙されて、四国へ渡っていた。
やがて酒びたりにおちいった父親が、事故にあった。酒を水のように勢いよく飲み、次から次へとカップをあけていた。フラフラと歩道から、横滑りするような感じで道路にでたところを後ろからトラックに引っかけられてしまった。五メートルは飛ばされたらしい。
葬儀は伯父が取り仕切った。伯父は和己や雅美を膝に引き寄せる。頭を垂れる母方の祖父母を攻める。祖父母は何もいいわけができなかった。ただ、頭を下げるだけだった。

父親の通夜は近隣の会館で行われた。母親の姿はみえなかった。父方の親族は、通夜にも姿をみせない母親のことをさんざん悪くいった。そしてその矛先を頭を垂れる祖父母に向けるのだ。祖父母はいたたまれない思いで、葬式も焼き場も目を伏せたまま付き合った。
伯父らは「こんなとこに置いておかれへん。」と和己らを引き取りたい旨を申し出た。