掃除のおばさんは和己になにか声をかけようとした。しかし和己は飛ぶようにして、その場を走り去ってしまった。口の中に入れたアメも途中で吐き捨てた。昼間と同じようにしてネオンきらめく路地に入った。そして、物陰にしゃがみこんだ。

ガラガラと木戸の開く音がきこえる。着物姿の女性がでてきた。開けたままの戸に戻ると中からバケツを持ってきた。杓で水をまきはじめる。一瞬、女性は和己をみた。女性はかまわずに水をまいた。ピシャリ、ピシャリと水が和己の足元まで近寄ってきた。

和己は追い立てられる感じで立ち上がった。<なにをしやがるねん。>と女性のほうをみつめた。女性も顔をキッとさせた。和己は目を伏せると、足を出して横へ進んだ。そして表通りへの道を歩いた。後ろのほうで、水をまく音が忙しくなってきこえてきた。

自転車がスピードをゆるめないまま突っ込んでくる。「危ないがな。」と若い男にいう。男は自転車をとめて、振り返った。「なにか、ぬかしたんか。」和己は黙っていた。若い男は和己を甘くみたらしい。「こらあ、なんとかぬかせ。」と胸ぐらをつかんできた。

通りを歩く人たちは和己と若い男との諍いをみるが、そのまま通りすぎる。誰も諍いを仲裁する気はない。和己は若い男に引きずられる。男は自転車をアーケードの柱にもたれさせた。「なんとかいわんかいな。」と両手で胸元をもって、引きずろうとした。

和己は日頃から丸太を抱える力仕事をしている上に、番頭仕込みの相撲取りだった。十五歳にしては体格もあり、背も高かった。「なにをするねん。」と男の手を振り払った。はずみで、男は通路に泳ぐ恰好になった。「こいつ。」と男が和己の顔を狙ってきた。

和己は顔をヒョイとよけて、男の拳から逃げた。そして足で太股あたりを蹴飛ばした。男は尻餅をついて、アーケードの鉄柱に頭をゴツンとうちつけた。和己は心配になって、「大丈夫か。」と声をかけた。そのとき、男が和己の手を手前に引っ張った。和己はヨロヨロとなりながら、付け込んで男の腰のあたりに食らいついた。男は和己が弱い相手なら、難癖をつけて、脅かし、なんとか銭にしようとたくらんでいた。