冬子は走った。冬子は走るのが得意とか、好きとかではなかったが、風のように走った。冬子は気持ちよかった。春樹に会いたいと、それだけを思っていた。

春樹の方はもう電車に乗って、発車を待っていた。

「…結局こんのかよ」

春樹はぽつりとつぶやくと、悔しそうに拳を握りしめた。

冬子は必死に走った。疲れさえも心地よかった。わき腹が痛いのも、青春の切り傷のような気がした。周りの景色がくるくる変わり、自分だけが変わらない。冬子は無心に走った。

「あっ…」

そのとき、冬子の目には赤い電車が映った。田んぼ道を北に走る赤い電車は、やけにゆっくりと走っていた。

「春樹…」

冬子は足を止めなかった。電車に向かって走り続けた。春樹はあの電車に乗っている。

「冬子!!」

春樹は冬子が見ていたのよりはるか後方の窓から顔を出した。

「あぁ…」

冬子は春樹の顔を見たとたんに涙がとまらなくなった。

「さよなら!!」

冬子は精一杯の声で叫んだ。春樹も泣いていた。

「さよなら。冬子」

春樹は小さい声でそう言うと、微かに微笑んだ。

冬子の足はもう限界で、みるみるスピードが落ちた。電車も速度を速め、春樹はあっという間に見えなくなった。

まだ暑い夏は続いていた。