中学一年の夏。

私は果てしなく無気力な時を生きていた。
口癖は「面倒くさい」。朝はひとりでおきられず、母にお尻を叩かれながらやっと起きて学校へ向かう。

そんな調子で、ほぼ毎日遅刻をし、校門前に立っている体育教師にどやされて。

この体育教師は教師のクセにサングラスと竹刀がトレードマークという事もあり、多くの生徒に恐れられていた。

しかし私にとっては何も恐れる事はなかった。

そんなことはどーでもよくなるくらい、無気力だったのがその理由のひとつ。

もうひとつの理由は、テストでキチンといい成績を取っていたこと。

「勉強はしてるんだから文句いうな」という、社会人では決して通用しないだろう開き直り方をしていたのだ。


無気力だったと言いながらも、テスト勉強を怠った覚えは一度もない。


親や教師が口出ししてこられない程度の勉強をする事で、自分は自由を求めていたのかもしれない。

無気力でいられる、という自由を。


今思えば、この無気力感には「うつ病」という病名がついてもおかしくないと思う。しかし当時の自分はもちろん、母も父も姉も、そんな可能性は少しも考えていなかった。ただただ、面倒くさい、と言い続ける無精な末娘を冷ややかな目で見続けるだけなのだ。


そんな中学校生活にも、一応友達がいて、その友達といるときはそれなりに楽しく過ごしていた。

その友達はマイという名で、私の唯一無二の親友であり、最愛の人だった。

マイとの出会いは小学校の時。