私はお金を借りる為のバレバレの嘘はちゃんとわかっていた、ただ信じたかった、彼女は必ず返すと言った以上は返してくれる、私を裏切ることはもうしないはずだ・・・そう信じたかったのだ。例え何度裏切られても儚い期待が私を誘惑し私も借金を重ね彼女に渡した。彼女が唯一私を認めてくれるのはお金の工面ができた時だけだった。
私はお金で彼女を、彼女の愛を繋ぎとめたかったのかもしれない・・・そんな私も悲しい人間だと今なら理解できる。私のしていた事は私にも彼女にもなんの幸せを生み出すことは無い行為だったのだから・・・

返済が滞れば私の自宅や携帯、会社にまで金融会社から督促の電話が入った。
もちろん個人名でかかってはくるけれど、数社から決まりきった言葉でかかってくる電話は明らかにそれらしかった。職場ではやはり金銭を扱うことも多く、何処でもあることだけれど多少の誤差は出る、そんな時、借金で四苦八苦していると噂されていた私に疑いの目がかかった。私には屈辱以外のなんでもなかった。私は人様のものを盗み取るよう行為はした事はない。私は執拗に真っ直ぐ世の中で悪いとされることを避け生きていた。
プライドだった。様々な複雑な家庭環境の中で決して「世間の決めた普通」という定義からはみ出さず生きたかった、なぜなら「○○だから・・・あの子は・・・」等と言われたくなかった、なにがどうあれ、親が何でも環境が何でも世の中の定義に沿って歩けるんだとしらしめたかったのだ。今思えばそこに執着していた自分が一番親や環境に拘っていたのかも知れないと思う。
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