彼女は私を産んだ。
海外の有名な人が言っていた言葉を思い出した。
「赤ん坊が産声を上げるのはこんな世界に産み落とされたことを悲しんでいるから」だと
また、こんな言葉もある「赤ん坊が産声を上げるのはそれまで聞こえていた母親の鼓動が聞こえない不安から泣く」私は後者を信じる。
彼女に抱かれた記憶はない。勿論記憶にないだけで抱かれたことはあるのだろう。
抱きしめられた記憶も、一緒に眠った記憶もない、ただあったと信じたい。
私は一度だけ彼女を抱きしめたことがある・・・彼女が酷く傷つき彼女の価値観が余りに悲しすぎたから、泣いている彼女をそっと抱きしめた。
彼女はそのときの事を最期の日まで覚えていた。「お前は何故あの時抱きしめてくれたの?」
私はいつもその問いに「しらない」と応えていた。でも彼女の最期の日、私は本当のことを応えた「あなたに抱きしめられたいと思っていたから、望むならまず自分がすればいいそう思っていたから・・・」彼女は薄れていく意識の中、うっすらと目に涙を浮かべているように見えた。

おそらく彼女も母に抱かれた記憶がないのだろう・・・だからその行為が言葉を超えた大きな暖かさを生む事を知る術が無かったのだと思う。
彼女の生き方は悲しすぎた。全てがお金と繋がっていた。多分本当の愛情を感じれぬまま彼女は逝ったのだろう・・・それともあの最期の日、私が抱きしめた理由を話したとき、
愛されていることを感じてくれたのなら・・・・そう願いたい。母はその日私の中で死んだ。