そういえば、『原罪』という言葉を聞いたことがある。

確か、キリスト教か何かの言葉で、人間は誰しも、生まれながらにして罪を背負っている、みたいな意味だったはずだ。
それで人間は、神の救いや助けなしには良く生きることは出来ない、そんな旨の。


電話を切り、どこか晴れ晴れとした笑顔を見せる彼女を見て、そんなことをふと思った。



そうだ。彼女はまるで、神に許された、そんな顔をしている。


彼女にとって、沓宮は“神”なんだろうか。
まあ、彼女にそんな意識はないだろうが。


つうか、“神”ってなんだ。

何故“神”に俺達の罪を計られ、許され、救われなければ、いけないんだ。