帰還してから、何人かの同級生に会って気が付いたことがある。

人は同じように歳をとるわけではないということだ。

実年齢は53、4歳のはずだが、

四十代前半に見える者もいれば、六十代後半に見える者もいた。

その差は、大きくみれば30歳もあることになる。

どう見るかは個人的なものだから、これはあくまでも私個人が感じたことだ。

積極的に会いに来てくれた友人たちは、概して若く見える者が多かったように思う。

地上で流れた30年の月日は、誰にとっても同じであったはずなのに、これはどうしたことなのか。

いつかクリスに言った自分の言葉を思い出す。

・・・でも一方で人生経験と実際の年齢が一致するものかどうか、僕にはわかりません・・・

クリスは答えた。

・・・例えば実際の年齢が17歳でも精神的には大人のひともいれば45歳でも中身は子供というのもいるわけだ・・・

中身がそうであるなら、外観にだってこの考えはあてはまるのではないだろうか。

積極的だったり、好奇心が旺盛だったりという資質で人生を楽しみながら送る者と、苦しみや悲しみにしか目をむけず、羨みながら人生を送る者が、
見た目にも同じように歳をとる、という方が考え難い。


どう生きるか

によって、

たとえ同じ時間を過ごしたとしても

中身も

外観にも

ある程度年齢を重ねた時に違いがでてしまう。

若いことが素晴らしい

と言いたいのではない。

同じ月日を過ごすのなら、

中身にも外観にも

良い影響を与えるような

人生経験を送った方が、

幸せではないかと思うのだ。

私と若い姿のまま再会しようとした、

眠ったままの千夏は幸せだっただろうか。

一緒に月日を重ねられなかったことよりも、

千夏が幸せな人生を送れなかったのではないかと思えることが悲しい。

彼女の両親は「千夏は幸せだった」と言ってくれた。

私のことだけを想って人生をまっとうできたからだ。

それならば、私も幸せだ--