それを知った両親は激怒するも、血への恐怖をぬぐいきれない者への周囲の負担を考えれば医者にしないほうがいいだろうと祖父に切り捨てられて、かろうじて大学卒業と言う世間体を気にする程度に学校に通わせてくれていた。
そんな一家の疫病神となった私に帰るだの正月には帰って来いの一報もなく、唯一パスポートの申請に印鑑を借りに戻った時の帰郷が唯一だった。
家族はよそよそしく、それよりも患者が家族を奪っていく。
そんな後継は物心ついた頃からの事だから、相変らず急がしいんだの一言で済ませてしまえる自分に苦笑した。